› 自然の恵み › 2016年03月
2016年03月31日
2016年03月31日
秘境駅小和田から塩沢集落へ(2)
こちらからの続き
塩沢集落へ林道天竜川線が開通するまで 集落のひとたちが通ったという街道を 小和田駅から塩沢集落まで歩きます。
途中、桟道に差し掛かると 桟道が腐っていて通行止めとなっていました。
桟道の手前を左に折れ、急斜面を下って 桟道を右上方に見て進みます。
前高方に吊り橋が見えてきたら右上方へ進み橋の袂へ出て 吊り橋を渡って進みま
次は明日
塩沢集落へ林道天竜川線が開通するまで 集落のひとたちが通ったという街道を 小和田駅から塩沢集落まで歩きます。
途中、桟道に差し掛かると 桟道が腐っていて通行止めとなっていました。
桟道の手前を左に折れ、急斜面を下って 桟道を右上方に見て進みます。
前高方に吊り橋が見えてきたら右上方へ進み橋の袂へ出て 吊り橋を渡って進みま
次は明日
Posted by 木タロウ at
00:11
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2016年03月30日
秘境駅小和田から塩沢集落へ(1)
飯田線「小和田駅」下車。
「小和田駅」は 静岡県、愛知県、長野県の三県県境の駅としても有名です。
皇太子妃雅子様の旧姓が「小和田」ということで、同じ表記の「小和田駅」が話題となり 当時十二単での結婚式が公募で行われました。その時設置したラブ・チェアーの東屋が待っています。
「小和田駅」は 全国ベストスリーの「秘境駅」だとも言われます。(牛山隆信氏「秘境駅へ行こう」2015年 ランキング )
今では、近くに住んでいる人もなく、車道がないため車で近づくこともできません、
一番近い人家といえば、これから向かう 塩沢集落で急坂の山道を1時間ほど登らなければなりません。
続きは明日
過去記事「小和田駅」
Posted by 木タロウ at
01:03
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2016年03月29日
夏焼山登山(3)
夏焼山登山(2)から続き
40年かけて完成した三信鉄道(飯田線の前身)の最後の区間
三河河合から天竜峡の間は地形が険しく誰も測量のやり手がなかった。
それをアイヌの酋長の息子川村カ子ト(かわむらかねと)が成し遂げた。
当時、夏焼集落に住んでいた川根さんが 工事でにぎわった様子を聞かせてくれました。
夏焼集落には朝鮮人や東北の人たちの飯場ができ 監督や班長とその家族は村人の民家に間借りしていた。
食料品などは天竜川を帆掛け船などで運び入れ、村人が作った木炭などを搬出した。
集落の諏訪神社:
車道も無く、急斜面で今はだれも住んでいないが 繁栄していたことを想像させます。
ツアーは さらに、険しい山道を登ります。
夏焼山(651.3m)の山頂標識
北風が非常に冷たい。
今も、耕作に通っているのでしょうか。集落はきれいに整備されています。
もと来た道を戻り 飯田線で最後に完成したという
大嵐~小和田 間 を 電車で移動しました。
明日は 秘境駅から塩沢集落へウォーキング
40年かけて完成した三信鉄道(飯田線の前身)の最後の区間
三河河合から天竜峡の間は地形が険しく誰も測量のやり手がなかった。
それをアイヌの酋長の息子川村カ子ト(かわむらかねと)が成し遂げた。
当時、夏焼集落に住んでいた川根さんが 工事でにぎわった様子を聞かせてくれました。
夏焼集落には朝鮮人や東北の人たちの飯場ができ 監督や班長とその家族は村人の民家に間借りしていた。
食料品などは天竜川を帆掛け船などで運び入れ、村人が作った木炭などを搬出した。
集落の諏訪神社:
車道も無く、急斜面で今はだれも住んでいないが 繁栄していたことを想像させます。
ツアーは さらに、険しい山道を登ります。
夏焼山(651.3m)の山頂標識
北風が非常に冷たい。
今も、耕作に通っているのでしょうか。集落はきれいに整備されています。
もと来た道を戻り 飯田線で最後に完成したという
大嵐~小和田 間 を 電車で移動しました。
明日は 秘境駅から塩沢集落へウォーキング
2016年03月28日
夏焼山登山(2)
夏焼山登山(1)から 続き
大嵐駅から 班ごとに出発。
すぐに小さいトンネル。
つづいて
佐久間ダム建設により 飯田線が水没するため
水窪へ大きく 迂回することになり 電車の通らなくなった
1300mの真っ暗なトンネル。
トンネルの内部はところどころ素掘りのまま残され
岩石の様子を見る事ができます。
続きは 明日
大嵐駅から 班ごとに出発。
すぐに小さいトンネル。
つづいて
佐久間ダム建設により 飯田線が水没するため
水窪へ大きく 迂回することになり 電車の通らなくなった
1300mの真っ暗なトンネル。
トンネルの内部はところどころ素掘りのまま残され
岩石の様子を見る事ができます。
続きは 明日
2016年03月27日
夏焼山登山(1)
3月21日 NPO法人「山に生きる会」主催の「ウォーキング」に参加しました。
飯田線水窪駅発8時05分の下り電車に乗り、飯田線で一番長い「大原トンネル」を抜けたところの「大嵐駅」で降りました。この間約7分。ちなみに、大嵐は「おおぞれ」と読みます。
「大嵐駅」周辺には人家がありません。この駅を利用するのは県境の天竜川を渡った、愛知県の、最近まで一番小さい村であった「富山村(とみやまむら)」であります。
そのため、「大嵐駅」の駅舎は富山村が作ったものと言われて、外観は東京駅に似せています。
続きは明日
2016年03月25日
花だより2
民俗資料館横のわんわん公園 ミツマタの花
水窪駅通りの桜、つぼみが膨らんで間もなく開花です。
水窪町押沢(民族資料館~ふれあい橋)の「コブシ」開花始めました。
イロウ(水窪発電所~民族資料館)
イロウ(水窪発電所~民族資料館)
Posted by 木タロウ at
23:39
│Comments(2)
2016年03月25日
2016年03月24日
1株だけ咲きました
水窪「カタクリの里」の情報が入りました。
カタクリの花は つぼみです。
園の中に 1輪だけ 開花しています。
他のつぼみも 数日先には順次開花となりそうです。
「かたくり」について
カタクリの花の高さは 10~15cm。 花びらの先はそり返り、奥には濃い紫色の紋があります。この紋に多少の違いがあります。
花が終わると葉と茎は枯れ、姿を消してしまいます。
かたくりは 発芽から7年くらい経って ようやく 花をつけることが出来ます。
種には、ありの好きな食べ物がついているため、ありは その種をせっせと運びます。
球根から良い澱粉である片栗粉が取れます。花言葉は「嫉妬」
ここの片栗は、北西斜面に 約 40,000 株が 自生しています。
かたくりの花は 夜は花びらを閉じて、朝お日様の光があたると静かに開きはじめます。
水窪の「かたくりの里」は西向きなので お昼頃ようやく お目覚めです。雨降りには 花を閉じてしまいます。
お天気の いいときに お昼前頃から おいで下さい。
「カタクリの里」へ 行くには 物産販売所「国盗り」付近から 約5km 食料品店「はくりや」を過ぎて 間もなく 右折 坂道を約3kmほど登ってください。
カタクリの花の模様の違いもお楽しみください。
カタクリの花は つぼみです。
園の中に 1輪だけ 開花しています。
他のつぼみも 数日先には順次開花となりそうです。
「かたくり」について
カタクリの花の高さは 10~15cm。 花びらの先はそり返り、奥には濃い紫色の紋があります。この紋に多少の違いがあります。
花が終わると葉と茎は枯れ、姿を消してしまいます。
かたくりは 発芽から7年くらい経って ようやく 花をつけることが出来ます。
種には、ありの好きな食べ物がついているため、ありは その種をせっせと運びます。
球根から良い澱粉である片栗粉が取れます。花言葉は「嫉妬」
ここの片栗は、北西斜面に 約 40,000 株が 自生しています。
かたくりの花は 夜は花びらを閉じて、朝お日様の光があたると静かに開きはじめます。
水窪の「かたくりの里」は西向きなので お昼頃ようやく お目覚めです。雨降りには 花を閉じてしまいます。
お天気の いいときに お昼前頃から おいで下さい。
「カタクリの里」へ 行くには 物産販売所「国盗り」付近から 約5km 食料品店「はくりや」を過ぎて 間もなく 右折 坂道を約3kmほど登ってください。
カタクリの花の模様の違いもお楽しみください。
Posted by 木タロウ at
00:36
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