2011年10月17日
高根城

高根城は この地の領主奥山氏が南北朝時代、後醍醐天皇の孫由機良親王を守るために築いたとされます。
戦国時代、今川・徳川・武田の勢力争いの狭間で兄弟争いを起こし、元亀3年の武田信玄の遠江侵攻時には、武田方の城となり 青崩峠越えの警備のため改築整備されていたといいます。
現在、城門・井楼櫓(せいろうやぐら)・礎石建物・木柵などが復元されています。
中世の山城としては、全国で初めて全面発掘に基づき史実に忠実に復元されました。
高根城は 浜松城や大阪城のような石垣の上に白壁といったお城とは違い 山頂に急傾斜の地形を生かし空堀りや土橋をしつらえた山城であります。

せいろうやぐら

井楼櫓(せいろうやぐら)からは 城下の町はもちろん 遥か信州境の山並みまで見渡せます。

城の周りには矢狭間の土塀をめぐらし


城に周りには 空掘りやヤゲン掘りを造り 土橋や木のはしご、木柵を設け敵の襲来に備えました。
これらのつくりが武田氏の築城の典型だと研究者の間でも高く評価されているといいます。

これらの地形が開発工事などもされず そのまま残っていたのは全国的にも珍しく この時代の城のありようを見るのに非常に貴重な資料となっています。
Posted by 木タロウ at 23:50│Comments(0)
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