
2010年06月29日
おかいこさん

これは何でしょう?
おかいこさん(蚕)が 繭になる為の「マムシカゴロジ」
5月7日の記事の桑の葉を食べて大きくなった蚕をここに入れてやる、ここで繭を作る。
水窪の養蚕・製糸は 明治から大正にかけて隆盛を極めたという。
しかし、大正末期水窪の大火で製糸工場が全焼。
養蚕農家もその後ナイロンの出現もあり衰退したという。
製糸業も盛衰をたどり、隆盛期には青崩峠を越えて工女さんたちが入っていたといいます。
また、豊橋方面へ信州から出稼ぎに行っていた工女さんたちも 行き帰りに 20人・30人と
本町の鈴木屋旅館に泊まって賑やかだったといいます。
水窪の大火の前は3階建てだったといいます。

水窪や佐久間の娘さんたちが信州へ働きに行くこともありました。
苦労された工女さんたち 今どのくらい残っていらっしゃるのでしょうか?
明治19年 村内有志イタリヤ式製糸機械
明治21年 一遠社製糸工場富岡式機械
明治24年 奥山館製糸場
明治30年 近火類焼廃業
明治33年 翁製糸場
明治42年 湯浅製糸工場
大正14年 水窪大火全焼
明治21年 一遠社製糸工場富岡式機械
明治24年 奥山館製糸場
明治30年 近火類焼廃業
明治33年 翁製糸場
明治42年 湯浅製糸工場
大正14年 水窪大火全焼
Posted by 木タロウ at 21:41│Comments(3)
この記事へのコメント
祖母は信州和田から嫁にきました、信州の人が「遠州のおばさん」っと言ってたのが印象に残ってます。
昔の宿帳には女工さんたちの名前があるかもしれません。
小畑の吉川屋さんのあたりは製糸工場の跡地だと聞いたことがあります、水窪の大火の1年前に父が産まれ、鈴木屋は、総三階建てにして3年目に大火にあったときいてます。
三階建ての旅館の写真も残ってます、今でも2月には本町の人達は,防火の訓練をしてますね。
昔の宿帳には女工さんたちの名前があるかもしれません。
小畑の吉川屋さんのあたりは製糸工場の跡地だと聞いたことがあります、水窪の大火の1年前に父が産まれ、鈴木屋は、総三階建てにして3年目に大火にあったときいてます。
三階建ての旅館の写真も残ってます、今でも2月には本町の人達は,防火の訓練をしてますね。
Posted by けいこさん at 2010年06月30日 13:07
本町は大正14年の火災で 昔の資料も一緒に焼失されました。
けいこさんの生家に残っている 昭和初期の様子なども聞き及んだ範囲でご紹介いただかませんか。
けいこさんの生家に残っている 昭和初期の様子なども聞き及んだ範囲でご紹介いただかませんか。
Posted by 木タロウ at 2010年06月30日 21:07
これは「かごろじ」ではなく「まぶし」です。
Posted by ひらの at 2024年02月21日 15:20