› 自然の恵み › 大洞 若子城

2015年03月26日

大洞 若子城

大洞 若子城
大洞山 若子城址
高根城主 奥山能登守定之の四人の男子は、嫡男の民部少輔貞益が高根城を継ぎ、二男の美濃守定茂が水巻城、三男加賀守定吉は大洞若子城、四男兵部丞定友は小川城を築き分家した。
兄の奥山美濃守定茂が遠山城主と計って若子城を攻撃した。
攻撃された定吉は山中に逃れ姿を消した。
徳川の世となり、定吉の孫 惣十郎貞成は 早期より徳川についていたため家康から改めて中部領(水巻城)の三分の一と雲名、相月の地を与えられた。
画像の看板のある橋を渡り右にそれ看板を目印に進む。



Posted by 木タロウ at 01:52│Comments(0)
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
大洞 若子城
    コメント(0)