しっぺい太郎
足神神社
今から700年前のこと その頃 遠州見附では 矢奈比売神社(磐田市の学問の神様といわれる見付天神社)のお祭りが近づくと どこからとも無く 白羽の矢が飛んできて そこの家では 年頃の娘を人身御供(ひとみごくう)として差し出さなければならないという しきたりになっていました。
そこに通りかかった 旅の僧が哀れに思い 怪神が信州の「しっぺい太郎」をおそれていることを頼りに 信州中を 捜し歩き 「しっぺい太郎」が 赤穂村(駒ヶ根市)の光前寺に飼われている犬であることを突き止め、この犬を借り受け 見付へ戻りました。
その年のお祭りの日、白木の箱に 娘の代わりに「しっぺい太郎」をしのばせ 神前においておきました。
娘と思って箱を開けた怪神に「しっぺい太郎」は飛び掛り もみ合いの大乱闘となり 長い格闘の末怪神を退治した「しっぺい太郎」も 全身ひどい怪我をしていたのでした。
旅の僧と「しっぺい太郎」は 信州の光前寺へ戻る途中 水窪の青崩峠付近で長旅と格闘の疲れで一休みしている時、「しっぺい太郎」が険しい顔をして僧に飛び掛ろうとしております。僧はとっさに
”元はオオカミの「しっぺい太郎」 さては 本性に戻ったか?”と 懐剣を抜いて 「しっぺい太郎」の喉元を一太刀にしました。落ちてきた「しっぺい太郎」の口を見ると 大きな毒蛇をくわえていたのでした。
僧に飛び掛ろうとしていた毒蛇から 守ってもらった事に気づいた僧は 後悔して そこにお墓を作って 大般若経六百巻を書き写して供養し 光前寺に届けたということです。
このお墓は 水窪町の足神神社近くに 今も祀られています。
「しっぺい太郎」の墓
「しっぺい太郎」は 「早太郎」とも 呼ばれています。
この悲しい結末に 赤穂村の人々は語るのも為しがたく
「しっぺい太郎」は 光前寺に 必死にたどり着き 恩になった和尚さんに 怪神退治の報告をして命絶えた・・・ということになっております。
関連記事